・・学食&本番『昼の部』編より・・
10月10日(水)
許昌三日目
さて、不思議な事の連続だった昼の部を終え、ちょっとだけホテルに戻り一息ついてから、再び許昌大学へ。
ところで、話しを聞くと ここ許昌大学の日本語科はまだ3年目というまだ新しい学科なんだそうです。
そこの日本語科の中国人の先生達は、出身は許昌ではないらしいけど、大学で日本語を学び日本に・・例えば一年・・留学して日本語より学び、今教えているそうです。
私の住んでいる都内みたいに沢山の語学学校があるわけでもなく、ましてや外国人・・日本人が大勢いるわけでもないところで日本語を学ぶというのは、大変な苦労と努力があったんだろうなぁ
それを考えると、都内では外国語や外国人に接するチャンスが多いのに、全く生かしてないなぁ・・と、ちと反省。
で、その日本語科の生徒は・・許昌大学の生徒に関してですが・・実に素朴で一生懸命で、皆カワイイですね~。
聞くところによると、夏休みなどの休みになると、皆田舎に帰り、家の仕事・・例えば、畑仕事・・を手伝う為に、電車で15時間やら20数時間かけて帰るんだそうです。もちろん、新幹線のリクライニングでゆっくり・・なんてのは程遠い話でしょう。
それを考えると、日本は随分恵まれてますよね。
それから、中国語(単語ですが)をいくつか習ったんですが、発音やイントネーションが難しく(ちなみに“難しい”という単語の発音が これまた難しい)、結局覚えてて話したのは「シェイシェイ」と「ハオチー」“美味しい”の二つだけでした
さて、午後7時 夜の部スタート。
昼の部は、学生のみだったので、私達のフラメンコショーだけだったんだけど、夜の部は、いわゆる文化交流・・しかし、他の国の民族芸能で文化交流・・って、ありなのかなぁ?
それはともかく、私達は学校のお偉いさん達と共に・・来賓扱いなので最前列で、学生達による中国の踊りや、おそらく音楽科の先生による二胡の演奏、など伝統芸能を披露。
で、ここでも楽器演奏の時はおとなしいのだが、歌や踊りになると、何を興奮しているのか、照明が色々な色に変化(音楽と無関係に)して・・こっちはそういう感覚なのかなぁ?
そして、お客である学生達は、素晴らしい・・と思ったら、どこでも拍手をしてました。例えば歌が、それほど盛り上がっている所ではない所で拍手が来たり・・何か習慣的な部分があるのかもしれないけれど、会そのものは盛り上がりますよね。
それにしても、みんな一生懸命練習したんだろうなぁ・・なかなか良かったですよ。
あ、学生か先生か分からないんだけど・・多分何かの先生なんだろうなぁ・・“チャルメラ”の演奏には驚いたなぁ。すんごい音量。きっと凄い肺活量なんだろうなぁ。
その後 再び私達の出番・・出し物は同じなのだが(カンテソロはちょっと変更)午後の部の反省を踏まえて、それに照明係の人に“一色での明暗で”ってお願いしたんだけど、やはり踊りが始まると、何が嬉しいんだか再び賑やかなライティングに。
ただ、どこかで思い出したんだろうか・・気が付いたら色をつけない地明かりの照明に・・
私達の出番が終わり、このイベントの最後に、日本語学生による合唱が・・まず、中国でヒットしていて皆が知っているという曲を男女それぞれのリードボーカルと共に熱唱。合唱団の学生は全員女性なんだけど、見た目凄く若く・・いや幼く見えて、14~5歳?と思ったら、みんな19~20歳だとか! 日本人も幼く見られるみたいなんだけど、それ以上だったなぁ。
いよいよ一番最後は私達も参加して全員での、シェパードの元旦那のヒット曲「北国の春」。
なんでこの曲なのか・・と思ったのだが、これも知らなかったのだけど 中国やモンゴルでは広く知られているそうで、あや子さんが以前モンゴル(の どこだったか)で公演した時にもこの曲を歌ったそうです。
誰だったか・・曲想が“大陸的”だからかなぁ?って言ってて、ん~言われてみればそんな感じかな?なんて思ったりもしましたが。
実際、最後の挨拶の間、ステージの外で待機していた時、歌詞が分からないので配られた“日本語の”歌詞カードを見てたら、学生が何を見てるんだろう?と思ったみたいで覗き込んだ時、タイトルの字を(漢字が分かり易いのでは?)見て、“お~知ってる~”みたいな凄い晴れやかな顔になって、あ~ホントに知られている曲なんだなぁ・・と実感しましたね。
そして全員で合唱し、大盛り上がりの中、この文化交流も無事終了。
実に色んな意味で、実に貴重な体験でした。
この後、少ない時間だったけど、最後の晩餐に・・
こちらで、再び学校の副校長および大変な先生方達にもてなして頂きました。恐縮です~
10月11日(木)
許昌四日目
さて、いよいよ珍道中も最終日・・滞在中 朝食はホテルのレストランのバイキングにて。
ここの朝食タイムは朝7:30~9:30なのだが、人が少なくなったら、9時位に従業員が「何かまだ食べるのありますか?」らしき事を言って来て(実際なんて言ってるのか全然分からないんだけど)取りに行くのが無いと分かると、私達がまだ食べてるのにさっさと片付け始めて、オマケに電気まで消し始めて・・いわゆるサービス面においてはちょっとまだまだなのかな?
で、実は 私とわりさやさんは日本で抜けられない仕事がある為、この日にて帰国。
あや子さん他3人は この日早くに兵馬俑のある西安へ・・どことかの駅から電車にて移動(7時間かかるそう)との事だそうだが、詳しい事は知らないのだけど、この電車のチケットを取るのが大変との事。
話しによると・・全然取れなくて、なんか“お役人”を使ってやっと寝台車を予約したんだとか。
日本ではなかなか考えられない事があるよなぁ・・もっともこの電車、北京だかどこかの大都市から西のどことかの都市まで何十時間も移動する大陸横断鉄道みたいですね。
ん~行きたかった。
(その後、何があったか分かりませが、かなりの珍道中だったみたいです)
で、私達は帰国の路に・・なにやら「党の副書記」(かなりのお偉いさんとの事)の車で空港まで送ってもらいました。なんでかと言うと、今まで乗せてもらってた車は、遠藤さん達を送った為、今回は偉い人に迎えに来てもらいました。
なんでも、最近車を購入したばかりだそうで、どうやら運転したいらしい・・との噂。
で、それまで普通のマイクロバスだったのが、お偉いさんの車だけにフォルクスワーゲンのなんだろう・・ゴルフかポロか??・・とにかく乗り心地は良かったです。
無事鄭州空港まで送って頂き、
空港にあった「足元注意」の案内(?)の絵が可愛かったので、記念撮影
日本へ・・
・・そして無事帰国。
これにて「許昌フラメンコ公演記」 終了