フラメンコについて

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フラメンコについて

今でこそ スペイン各地でフラメンコショーを見ることが出来るので、スペイン=フラメンコ・・というイメージが強い様ですが、元々はスペイン南部アンダルシアのものです。

ここでは それぞれの項目を簡単に紹介していますが、 より詳しく知りたい方は・・

「フラメンコのすべて」講談社 有本紀明著
「フラメンコの歴史」晶文社 濱田滋郎著 
「フラメンコの芸術」ブッキング社 ドン・E・ポーレン著/青木和美訳
・・をご覧になって下さい。

ただ、今現在上記3冊は絶版となっている為、図書館で借りるか 古本屋等で見かけたら手に入れてみて下さい。
なお、クラシック物が中心ですが こちらは入手しやすい・・

「スペイン音楽の楽しみ」濱田滋郎著 音楽之友社 
「約束の地 アンダルシア」濱田滋郎著 株式会社アルテスパブリッシング
・・にも、簡単ではありますが フラメンコについて載っています。

フラメンコとは

スペイン南部アンダルシア地方発祥で、ロマ(ジプシー)の人たちにより育まれ、唄と踊りとギターとによる芸能、および南スペインに住む多くの人たちの日常の行動を左右する生き方そのものを指す言葉です。

とは言っても 日常の生活そのものは私達にはなかなかつかみにくいものですね。虐げられていたロマの人たちの 悲しみや苦しみ、喜びを表すフラメンコは、唄、踊り、ギターの三位一体による西洋のものとも東洋のものともつかない響きの、激しく情熱的な伝統芸能・・と言った方が分かりやすいかも知れません。

フラメンコの語源

Flamencoは標準スペイン語で「フランドルの」を意味しますが、語源についての確かな事はまだ分かっていなく・・

  •  ジプシー=ロマの人たちが スペイン領であったオランダ(フランドル地方)からやってきたと考えられて、フランドル→フラメンコと呼ぶようになった説
  • 「炎」を意味する”flama”または”flamente”(派手な)、”flamancia”(香り)といった単語を語源とする説
  • 農民の逃亡者」を意味するアラビア語のfelahmenguフェラーメング(felah-mengu)が訛って発音され、スペイン語と一緒に使用されるうち「フラメンコ」と発音される様になった説
  • アンダルシアの俗語で「派手な」「伊達に気取った」等の意味を持つflameante に由来にする説 

・様々な説があります。

簡単なフラメンコの歴史

フラメンコは文字を持たない人たちにより育まれたものであるのと、特にフラメンコの黎明期の記録や文献がほとんど無い様なので よく分からない部分が多いみたいです。 

スペインの歴史と切っても切れない関係があるので、スペインの歴史を織り交ぜながら簡単にまとめてみました。   

現スペインのあるイベリア半島に、紀元前1世紀頃にケルト族、その後ローマ帝国(※)をはじめバンダル族(バンダルからアンダルシアの語源になったという説が有力)等 多数の民族による支配が繰り返されている中、4世紀までの間にキリスト教が半島に導入されたようです。(※:フラメンコに直接関係があるかどうかはさておき・・「クルスマタ」という金属製のカスタネットを鳴らしながら踊る「ガデス(カディス)の娘たち」と言われるアンダルシアの踊り子が ローマの人々を魅了していた・・という記述があるのだそう) 

711年にイスラムの襲来で、瞬く間にスペインのほぼ全土が支配(※)されてしまい コルドバに首都が置かれますが、すぐにキリスト教による国土奪回運動(レコンキスタ)が始まり、時を経るにつれ キリスト教側によりイスラム勢力が徐々に南に追いやられて行く中、スペイン南部アンダルシア地方のコルドバ・セビーリャ・グラナダは文化の中心地となり、セビーリャは芸術の街とも言われていたそうです。(※:支配された領土は やがて「アル・アンダルス」と呼ばれるようになりました)そして 1492年にイスラムの最後の砦となったアルハンブラ宮殿開城でレコンキスタが終了しました。 

このイスラムによる支配、フラメンコ発祥のアンダルシアにおいては 約800年にわたる支配により文化的にも音楽的にも、アラブの影響が色濃く残ることになります。そのような中 15世紀頃、アンダルシアにロマの人たちが着いたようです。

 芸能にも秀でたロマの人たちは、元々住んでいたアンダルシアの人々や、スペインに紀元前から住んでいるといわれているユダヤの人たち等と交流する中、ヨーロッパ経由、アフリカ経由の移動の途中、それぞれのところで吸収した音楽や踊り、アンダルシアにある民族舞曲や音楽、キリスト教の音楽、アラブの音楽とを取り込み 融合して行ったものがフラメンコの元になったようで、現在アンダルシアの州都セビーリャのトリアーナ地区や、セビーリャから南西部の港町カディス、カディスにほど近いヘレス・・この辺りでフラメンコ(※)が発祥したようで、19世紀中頃あたりまでに リズムやフラメンコの根幹となるものが形作られたようですが、今見るものとは少々違うものだったようです。(※:「フラメンコ」という呼び名は、19世紀後半になって現れました)

 どうも19世紀中頃以降がフラメンコ大改革期間だったようで、19世紀後半になると、ロマのコミュニティ内で行われていたフラメンコが大道芸として身入りとなることが分かり、1842年にセビーリャに「カフェ・カンタンテ」というフラメンコショーを見せる酒場が登場したとされています。

この「カフェ・カンタンテ」は、フラメンコだけでなく、お店によっては マジックショーや世界各国の踊り・・といった、ありとあらゆる出し物を行なった 今でいう「総合エンターテイメント」的なショーだったらしく、人気となりスペイン全土に広がり、職業としてフラメンコを観せる人たちが現れると共に、フラメンコが大きく発達し、リズムやカンテの種類・・ソレアレス 、アレグリアス、タンゴスやブレリアスといった主要な形式が形作られ整えられて行ったようで、その後のフラメンコに繋がって行きました。

 また、19世紀中頃あたりから ギターが伴奏楽器として本格的に加わり、多分素朴なテクニックであっただろうと想像される技術が急速に発達して行ったようで、パコ・ルセーナ(Paco Lucena)がクラシックギターの奏法を取り入れ、その後のフラメンコギター奏法の道筋を開いて行き、パージョ(非ロマ)のカンタオール(フラメンコの男性歌手)シルベリオ・フランコネッティ(Silverio Francontti)により、カンテ(フラメンコの唄)が芸術の域へ引き上げられるなど、今見るフラメンコの下地が作られて行ったようです。 

ところで、人気を誇った「カフェ・カンタンテ」は20世紀に入り衰退して行きましたが この頃、アンダルシア民謡由来のカンテ(カンテ・ボニート)やフラメンコ風流行歌(クプレー)といった洗練された歌が人気を得て行き、伝統的な「純粋なカンテ・フラメンコ」のカンテ・ホンド(深い歌の意味)の活動の場が減って行きます。それから メロドラマ風のストーリーにカンテを適宜取り入れたお芝居のオペラ・フラメンカ(注:オペラが行われていた訳ではありません)が1920年からスペイン全土に広がって行くという流れの中、純粋なカンテフラメンコが失われるのを危惧して、作曲家マヌエル・デ・ファリャ(Manuel.de.Falla)の提案で、1922年にグラナダで「カンテフラメンコ・コンクール」が催されました。このコンクールは フラメンコがかつてないほど新聞に取り上げられ 文化的知名度が上がったそうで、純粋派の発掘という意味では失敗した感はあるようですが、フラメンコが興行として成り立つ事が分かる等 その後のフラメンコ芸術の根本を支えている道程となりました。 

そしてフラメンコの舞台は劇場へ移り、それと共に バイレ(踊り)フラメンコが飛躍的に進化した時期で、カンテ・ホンドの「シギリージャ」に振りが付けられるなど、レパートリーが多様化して行きました。

この時期に 天才ギタリストのラモン・モントーヤ(Ramón Montoya)が1938年にパリでフラメンコギター史上初めてのソロコンサートを行い  ソロギターのジャンルを開き、現代フラメンコギター奏法の礎を築いています。 

やがて 1950年頃に世界的に起きた「民族芸術の見直しと復興」の流れに乗って、純粋なカンテ・フラメンコが再評価され始めて、それに「フラメンコの研究」もされ始めました。また「ペニャ」というフラメンコの愛好グループがスペイン各地に生まれ、その後のフラメンコの活動の基盤となって行きます。 

そして「タブラオ」というフラメンコショーを見せるお店が活動の中心の場となり、 1950年代から’70年代くらいまでは一流の歌い手、一流の踊り手が技術を競い合っていたそうです。

踊りが中心となった「タブラオ」というスタイルは、スペイン全土に広まって行き やがて観光向けとなり、一般にフラメンコが広まる基礎となって、スペイン観光資源の一翼を担うまでになっています。 

優れたアーティスト・・女性舞踊手の「カルメン・アマヤ(Carmen Amaya)」のアメリカやヨーロッパでの成功、男性舞踊の「アントニオ・ガデス(Antonio Gades)」やギタリストの「パコ・デ・ルシア(Paco de Lucía)」等による世界的な活躍により、フラメンコが広く世界に知られて行き、今では様々なジャンルの要素を取り込み 表現の幅が広がり多様なものとなっています。

 一方でフラメンコ音楽の影響は 1970年前半、マネージャーがその後ヌエボ・フラメンコ(※ 1)の仕掛人となるリカルド・パチョン(Ricardo Pachón)やマヌエル・モリーナ(Manuel Molina)(※ 2)が在籍していたセビーリャのグループ「スマッシュ(SMASH)」が フラメンコとロックとの融合の先陣を切り、その後セビーリャのロック・グループ「トリアーナ(TRIANA)」やイギリスのロック・グループ「カルメン(CARMEN」をはじめ 他のジャンルでフラメンコの要素が取り入れられて、その影響は様々に広がりをみせています。

  1. 新フラメンコの意味で、それまでのフラメンコの範疇に入りきれないような 新しい潮流の事)
  2. 夫婦デュオで活躍した「ローレ・イ・マヌエル(Lole y Manuel)」のギタリスト)

フラメンコのリズムについて

特徴的なフラメンコのリズムは、大まかに二拍子系と三拍子系に分けられます

三拍子系の代表的なリズムのアクセントについて

アクセントが頭にある6拍子のリズム
楽譜

代表的な曲種:セビリャーナス(Sevillanas)やファンダンゴ・デ・ウエルバ(Fandango de Huelava)など

リズム円1

あるいは

リズム円2
 アクセントが特徴的な12拍子のリズム

(○の付いている拍がアクセント)
(円形の表-1) あるいは (円形の表-2)

代表的な曲種:ソレアレス(Soleares) アレグリアス(Alegrias)系・・カラコレス(Calacores)やカンティーニャス(Cantiñas)等・・ ソレア・ポル・ブレリア(Solea por Buleria) ブレリアス(Bulerias) (なお、ブレリアスはソレアレス から発展したものなので、元々1拍目からのスタートだったのですが、頭にアクセントが来る取り方の方がノリが良くなるので、今は12拍目からのスタートが一般的になっています

特殊なリズムのシギリージャ(Siguirillas)
楽譜


12拍子で捉えられますが、変則的な5拍子とも捉えられ この様な数え方をします。

楽譜

なお、シギリージャ のリズムを把握しやすくする為にアクセントの位置が合うので便宜的に上の図形の8拍目から数える場合もありますが、リズムの成り立ちがソレアレスのリズムとは別で、ソレアレスのリズムから派生したものではありません)

グアヒーラ(Guajiras)とペテネーラ(Petenra)

ブレリアスとアクセントが似ていますが、12拍目からスタートしている訳ではなくブレリアスとは別の物です

楽譜

二拍子系の代表的なリズムの取り方

最後にアクセントが来るリズムに

タンゴス(Tangos)系・・タンゴ・デ・マラガ(Tango de Malaga)、ティエント(Tientos)等

楽譜
タンゴスの変形のような タンギージョ・デ・カディス(Tanguillo de Cadiz)
タンゴスの変形のようなタンギージョ

(独特なリズムで 楽譜にするのが難しいのですが、大体この2種類の間のような感じのリズムです)
なお、最近は「タンギージョ」というと パコ・デ・ルシアが始めた取り方で、楽譜にすると

楽譜

3拍子な感じに聞こえるのですが、2拍子です

ファルーカ(Farruca) タラント(Tarantos) ガロティン(Garrotin)

基本的にこの様な感じで

楽譜
ルンバ(Rumba)

一般的なルンバのリズムと同じです

楽譜
リズムのない曲種

自由という意味のリブレ(Libre)と言われる代表的な曲種にファンダンゴ(Fandango) マラゲーニャ(Maragueña) グラナイーナ(Granaina) タランタ(Taranta) 等があります

リズムに関する豆知識

フラメンコ用語に「コンパス」というものがありますが、これはリズムの最小単位(1サイクル)の事で、12拍のリズムの事ではありません。
ただ タンゴス系やルンバは、1コンパスが上記の楽譜で考えた場合 最小単位が一小節なのか二小節なのか?の定義が定まっていないのですが、一般的に二小節で1コンパスと捉えられています。
(なおセビリャーナスはコンパスという捉えられ方はされていない様です)
また、リブレの曲にはコンパスはありません。 コンパス感:リズムのある曲において、ロックやジャズ、ラテンのリズムで感じられる 「ノリ」や「グルーヴ感」のような物で、これが無いと リズムは合っているけど違う・・という感じになります。

フラメンコで使われる音階

基本的に3種類の音階が使われています

 

メジャースケール(長音階)   

長調の曲で使われる音階です。例として Aメジャーは

楽譜

 コード進行は 一般的な音楽と大体同じで(※1)、ジャマーダ(※2)のコード進行は

楽譜

代表的な長調の曲:アレグリアス カラコレス ガロティン 等

マイナースケール(短音階)

短調の曲で使われる音階です。例として Aマイナーは・・

楽譜

  コード進行は一般的な音楽と大体同じで(※1)、ジャマーダ(※2)のコード進行は

楽譜

代表的な短調の曲:ファルーカ ペテネーラ タンゴ・デ・マラガ 等

 

そして、フラメンコを特徴付けているだけでなく、アンダルシアの民謡にも多く見られる メジャーでもマイナーでもない音階

 フリギア旋法 

「ミの旋法」や「Eナチュラル」と呼ばれている フラメンコで古くから使われている音階。 特に名称が決まっていなく、教会旋法(※3)の「フリギア」と呼ばれる音階と基本的に同じ音配列なので、ここでは「フリギア旋法」という言葉を使用しています

スケールは基本的に

楽譜

ですが、3番目の音(G)を半音上げて使われる事も多く

楽譜

実際には、この2種類が混ぜ合わさって使われています

ベース音が主音に向かって下降して行く 特徴的なコード進行

楽譜

フリギア旋法を使った代表的な曲:ソレアレス  シギリージャ  タラントス ティエント 等 (ブレリアスやタンゴスもこの旋法で演奏される事が多いのですが、長調や短調でも演奏されています)

  • この楽譜ではEの音からスタートしていますが、他に良く使われるAやF#、Bの音からスタートする音階も、スタート音が違うだけで どれも同じ音階です。
ミニ知識

この「フリギア」を使っている曲を演奏する際、基本コードがギターの指板の中ほどを使うB♭−A(Aの音からスタートする音階)の時は、「中ほど」を意味する「ポル・メディオ」(Por medio)と言い、基本コードが指板の上の方を使うF−E(Eの音からスタートする音階)の時は、「上の方」を意味する「ポル・アリーバ」(Por arriba)と言う事が一般的で、「Eのフリギア」とか「Aのフリギア」・・という事は まずありません。

  1. 古典的なフラメンコでは、コード進行が一般的な音楽と同じ感じですが、モデルノ(モダンな)と呼ばれる最近のフラメンコでは、かなり自由なコード進行となっています
  2. ジャマーダ(llamada):フラメンコ用語で合図の事です
  3. 教会旋法:ヨーロッパで9~10世紀頃確立されたという、教会音楽で使われる音階の事です

とりあえず これだけは知っておこう「フラメンコ用語」

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カンテ(Cante)フラメンコの歌の事
カンタオール(Cantaor)男性の歌い手
カンタオーラ(Cantaora)女性の歌い手
ルンバを踊りながら歌う人の事をルンベーラ(Rumbera)と言います
バイレ(Baile)踊り
バイラオーラ(Bailaora)女性の踊り手
バイラオール(Bailaor)男性の踊り手
トーケ(Toque)フラメンコ・ギター
ギター奏者の事はトカオール(Tocaor)と言います
パルマ(Palma)手拍子
パリージョ(Palillos)カスタネット
ちなみに一般的には「箸」の意
アイレ(Aire)フラメンコの雰囲気
元々は「空気」の意
ドゥエンデ(Duende)これは説明が中々難しく、元々「不思議な魅力」「魔力」の意味なのですが、フラメンコにおいては「えもいえぬ魅力」「足の裏から内にわき上がる、霊感に満ちた、一種陶酔的な状態」の事
タブラオ (Tablao)語源が「板張りの台・舞台」(Tablado)から来ている、フラメンコショーを見せるお店の事
ハレオ(Jaleo)掛け声
グアパ(Guapa)いい女
グアポ(Guapo)いい男
ボニータ(Bonita)(女性に対して)かわいい
ボニート(Bonito) あまり使う機会はないかと思いますが(男性に対して)かわいい 

フラメンコ 用語ではありませんが、フラメンコに関わりのある単語・・

スクロールできます
ヒターノ(Gitano) ロマの人の事 ロマの男性の事
ヒターナ(Gitana) ロマの女性の事
ハレオの種類

オレ(Olé)アラビア語の「アラー」から来ていると言われている 何にでも使えるオールマイティーなハレオ (何のハレオをかけていいか分からない時は、とりあえず「オレ」と言っておきましょう)

ビエン(Bien)   素晴らしい
ムイ・ビエン(Muy bien)とても素晴らしい

応用編

カンタ・ビエン(Canta bien)素晴らしい歌 
バイラ・ビエン(Baila bien)素晴らしい踊り 
トカ・ビエン(Toca bien)素晴らしいギター演奏

フラメンコの名アルティスタ(アーティスト)

フラメンコは、個々の表現なので スタイルもそれぞれ別々の個性であるのと、名アルティスタは 余りにも多く 列挙して行くと切りがないので、影響力や貢献度の大きさと、動画や音源などで その姿に触れる事が容易な人を基準に、主観でそれぞれの分野で2名ずつに絞って簡単な軌跡を載せています。(なんでこの人をあげていないの?・・と言わないでください)

カンテ

アントニオ・マイレーナ Antonio Mairena (1909ー1983)

広い知識でカンテの収集、復興にも大きな貢献を果たした本格派の偉大なカンタオール(男性フラメンコ歌手)です。

本名がアントニオ・クルス・ガルシアのアントニオ・マイレーナは セビーリャ県の小さな村 マイレーナ・デル・アルコールに生まれたヒターノで、若い頃 大歌手マヌエル・トーレやニーニャ・デ・ロス・ペイネス等をはじめ、有名無名の歌手たちから直接学び、それらの歌を慎重に磨き上げ、練り上げて行きました。
意外にも(・・と言って良いのかわかりませんが)アメリカに渡りハリウッド映画に出演し人気俳優となり、スペインへ戻ってからは多くのコンサート・テレビなどで人気の歌手となっていたそうです。
そして 1963年に、詩人でもある有数のフラメンコ研究家のリカルド・モリーナとの共著「カンテ・フラメンコの世界とその諸形式」を残し、学び取ったカンテを その端正な歌い口で数多くのレコードに残し(※)、古来のカンテの型を細部に至るまで守り抜き、ほとんど失われかけた多くの歌を救い、その後の歌い手にとって 貴重なカンテの手本となっています。

  • 録音されたものの多くは「アントニオ・マイレーナ全集」としてCD化されています
カマロン・デ・ラ・イスラ Camarón de la Isla (1950ー1992)

ポピュラー音楽を含むあらゆるジャンルのアーティストに匹敵する当時最高の人気を博したカンタオールで、それまでフラメンコに縁もゆかりもなかった若者が熱狂的なファンになり、ロマの人達からは「神」扱いにまでなった伝説のアーティストです。 

日本でも多くのカンテの歌い手が その歌をレパートリーに取り入れている本名が ホセ・モンへ・クルス のカマロンは、カディス県のサン・フェルナンド生まれのヒターノで、1960年代末にパコ・デ・ルシアと出会い 13枚のアルバムを出し、数々の賞を受賞し、大きなフェスティバルに欠かせない存在となり、1975年にはレコードの売り上げ第一位を獲得しています。 

やがて名声はスペイン国外にも広がり、1987年にパリ公演(※)の成功、翌年 パリのフェスティバルに名誉招待者として クラシック音楽界のホセ・カレーラスやモンセラート ・カバリェと共に名を連ね、さらにニューヨークのニュー・ミュージック・セミナー、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで圧倒的な成功を収めるなど国際的に活躍していましたが、 喫煙により徐々に喉を痛め、肺ガンが元で 1992年7月2日に永眠しました。

  • これはのちに「ライブ・パリ1987」としてCD化

 ・・この7月2日は、当時日本で注目が集まっていたギタリストのビセンテ・アミーゴのコンサートを見に行っていた日で、カマロンが亡くなった・・という話しが会場を駆け巡り、ビセンテも急遽 カマロン追悼の曲を演奏した事を思い出します。

バイレ 

カルメン・アマヤ   Carmen Amaya (1913ー1963)

生きながら伝説となった天才女性舞踊手です。バルセロナのソモロストロのバラックで生まれたヒターナで、ギター弾きの父親と踊り手の母親の極貧の家庭で育ち、6歳で初めてステージに立ち、その後 その激しい踊りはアカデミーの学習とは無縁の天賦の才能のものだった様で、カルメン・アマヤの名はあっという間に知れ渡りスペインの主な都市を巡回したそうですが、1936年に始まったスペイン内線を逃れて ブエノスアイレスへ渡り 南米各地で公演(※)・・特にアルゼンチンでの公演は9ヶ月に及んだそうです。

  • この時、当代随一のギタリスト サビーカスが伴奏で一緒に廻ったそうです

その後、ニューヨークのカーネギーホールで公演、ホワイト・ハウスに招かれ ルーズベルト大統領の前で踊りを披露、押しも押されもせぬスターとなり雑誌「ライフ」の表紙を飾り、ハリウッドで ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団をバックにファリャの「恋は魔術師」を演じた公演には、チャップリンやグレタ・ガルボをはじめ 指揮者のトスカニーニなど2万人が集まっていました。
1947年にはスペインに戻り、連日公演が続く中 いつしか腎不全を患い、1963年 病をおして映画『バルセロナ物語』の撮影を行ったのですが、同年11月 栄光の絶頂の中 50年の生涯を閉じました。そして、カルメン・アマヤの穴を埋める人は未だ現れていない・・ 

アントニオ・ガデス Antonio Gades (1936ー2004)

日本でもよく知られていた、劇場のバイレを新たにし、フラメンコとスペイン舞踊の融合に演劇の要素が加わった舞台作品を創り出し 世界を魅了した男性舞踊手です。 

スペイン東南部のアリカンテで生まれ、フラメンコ・ダンサーでありスペイン舞踊とバレエのダンサーでもあり、振付家でもあり、舞台俳優としても活躍したアントニオ・ガデスは、1952年ごろ、ピラール・ロペス(※)と出会い 彼女のバレエ団に入団し1961年まで在籍してました。なお 「ガデス」は彼女による命名だそうです。

  • 20世紀前半から中頃にかけて、数々の舞台作品を発表し活躍したスペイン舞踊家

1970年、マドリードのラ・サルスエラ劇場でクリスティーナ・オヨス(※)との公演で国民演劇賞を受賞する他、ガルシア・ロルカの「血の婚礼」を発表し 後にカルロス・サウラ監督により映画化、また同じカルロス・サウラ監督の映画「恋は魔術師」世界的に反響を呼んだ「カルメン」に出演しています。(※:バルセロナ・オリンピック閉会式で踊りを披露した フラメンコ舞踊家であり振付家。1968年より20年間 アントニオ・ガデス舞踊団のメイン・ダンサーでした)特に「カルメン」は、当時日本でも反響を呼び、アントニオ・ガデスの名が一般の人に広く知られ、後にアントニオ・ガデス舞踊団で「カルメン」、そして「アンダルシアの嵐(FUENTEOVEJUNA)」等の舞台作品を発表し、世界中で公演が行われ、日本公演では新たなファンを獲得、その後何度も来日講演が行われましたが、2004年「アントニオ・ガデス急逝」のニュースは世界中を駆け巡り、日本でも大きく取り上げられていました。

トーケ

ラモン・モントーヤ Ramón Montoya (1879ー1949)

マドリードに生まれたヒターノで、ソロギターのジャンルを確立した偉大なるギタリスト。少々専門的な話しになるのですが、右手の使い方が それまでは親指中心だったところ、ラモン・モントーヤは他の指も演奏に参加させ・・クラシック・ギターでは当たり前のテクニックをフラメンコギターの奏法に大幅に取り入れて、それまでより 技術面も音楽面も格段に上げ、形式を整え、1938年 パリでフラメンコギター史上初のソロ・コンサートを開き(※)、ギターソロのレコードを録音を行い、 独特な変則チューニングの「ロンデーニャ」(Rondeña)の創始者でもある ソロギターの開拓者ですが、以外にもソロ・コンサートはパリでの3回のみだったそうで、実のところ伴奏者としての立場を通したのだそうです。

  • モントーヤ以前にも ギターのソロ演奏は行われていた様ですが、コンサートを行うまでには至っていなかった様です
パコ・デ・ルシア Paco de Lucía (1947ー2014)

活動の幅広さと切り開いた足跡があまりにも多く、パコ・デ・ルシアのファンとして 簡潔にまとめるのが難しい・・ 

フラメンコ ギターの魅力(威力?)を世界中に知らしめた 世界的ギタリスト。スペイン南端部の小さな港町アルへシーラスに生まれ、本名はフランシスコ・サンチェス・ゴメス。最初はパコ・デ・アルヘシーラスと名乗っていたのだけど後に 母親の「ルシア」を取りパコ・デ・ルシアへと芸名を付けかえました。

 “幼い頃からギターを仕込まれた”とか、“小学校を二年で辞めさせられた”とか、“技術を上げる練習はした事がない”・・等 様々なエピソードが伝えられえていますが、とにかく驚異のテクニックを持った天才ギタリストとして 二十歳の時にレコードデビューした後、1973年に発表した「二筋の川」(※)がスペインのヒットチャートのトップとなり、クラシックのコンサートホール「王立劇場」にてフラメンコ・ギタリストとして初めてコンサートを開き(1974年)、名作アルバム「アルモライマ」(1976年)をリリース・・それまでのブレリアスのリズムの取り方を変えたとされています。

  • アルバム「二筋の川」を録音していたら一曲分時間が余ったので即興で録音した・・と言われています

 1977年にフュージョン・ギタリストのアル・ディ・メオラのアルバムに参加(「地中海の舞踏」)し、ジャズ・フュージョン系の人達に知られる存在となり、1979年からは ジャズ・フュージョン系のラリー・コリエル、ジョン・マクラフリンと共に「スーパー・ギター・トリオ」(※)としてワールドツアーが行われ、一般の音楽ファンにも広く知られて行きました。

  • (途中ラリー・コリエルからアル・ディ・メオラに代わる)音楽的には「アルモライマ」で全てを出し切ったのか? 分かりませんが、ギター・トリオの参加により1980年頃から 特にハーモニー面で大きな変化を見せ、アンダルシアの伝統的な音感覚から離れて行き、後に続くアルティスタに大きな影響を与えています。 

また カルロス・サウラ監督の映画「カルメン」に出演、「パコ・デ・ルシア・セクステット」を結成・・これは初めてバンド・スタイルによるフラメンコが出現し、当時はフラメンコ・アンサンブルの基本モデルとなっていました・・その後も、ロドリーゴの名曲「アランフェス協奏曲」(※)をソリストとして演奏等 様々に開拓して行き、様々な音楽要素を取り込み 革新的なフラメンコを発表し続け、フラメンコの改革者と呼ばれていますが、保守派からは「フラメンコを壊した人」との評価も得ているようです。

  • パコは楽譜を読めなかったので、この時 初めて楽譜を読む練習をしたのだとか

その幅広い活動で フラメンコ・ファンのみならず一般の音楽ファンをも取り込み、フラメンコの素晴らしさを世界に広めましたが、2014年に心臓発作で 突如帰らぬ人となりました・・翌年に日本公演が噂されていたところだったので 残念。(何度もパコのコンサートへ行きましたが、2004年のグラナダの闘牛場でのコンサートが一番印象に残っているかな・・) 

スペインが生んだスーパースターの名は、今ではマドリードの地下鉄の新駅の駅名 「Estación de Paco de Lucía」 https://es.wikipedia.org/wiki/Estación_de_Paco_de_Luc%C3%ADa や、生まれ故郷のアルヘシーラスにあるモロッコ行きのフェリー乗り場の名前「ACCESO CENTRAL PACO DE LUCÍA」として刻まれています。

 個人的にパコ・デ・ルシアの一番の功績は、南米ツアー中に知り すぐ翌日のステージで使った・・という、今ではジャンルを超えて使われている楽器「カホン(Cajón:“箱”の意味)」を広めた事かと思う。

フラメンコのアルティスタではないのですが、フラメンコと関わりの深い・・

フェデリコ・ガルシア・ロルカ Federico García Lorca(1898ー1936)

グラナダ近郊の フエンテ・バケーロス村 生まれのスペインの偉大な詩人・劇作家のロルカは、「ジプシー歌集」「カンテ・ホンドの詩」等 数多くのアンダルシアに根ざした詩や「血の婚礼」「イエルマ」等数々の戯曲を発表し、また ピアノを弾き 作曲も行い、アンダルシアの人らしく?ギターも嗜んだという音楽の素養もあって、アンダルシア各地に伝わる民謡に簡潔な伴奏をつけた曲集「13のスペイン民謡」(※)を発表するど多彩な才能を発揮していました。

  • 当時 スペイン舞踊家のラ・アルヘンティニータにより歌い広められ、「ソロンゴ」や「18世紀のセビリャーナス」等 今でもフラメンコ・アーティストの間で広く愛されています

それから 交流のあった作曲家マヌエル・デ・ファリャが1922年にグラナダで行なった「カンテホンド・コンクール」の開催に向け、勢力的に立ち動いていたそうです。
奇人変人で有名なサルバドール・ダリと友情で結ばれていた・・という、なんとなく意外なエピソードのあるロルカは、1932年に共和党政府文部省の後援を得て、民衆の為の劇団「バラーカ(バラック)」を率い各地を回るなどしていましたが、スペイン内戦が起きた1936年、反乱軍のフランコ軍に無実の罪で捉えられ 銃殺されてしまうという悲劇的な最期を迎えています。

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