スペインの音楽について

目次

スペインの音楽について

 簡単なスペイン音楽の歴史

「スペインの音楽」というと多岐に渡り、また スペインの歴史と切っても切れない関係があるので、スペインの歴史も少し織り交ぜながら クラシックを中心にその流れを簡単にまとめてみました。

スペインのあるイベリア半島は、クロマニヨン人から始まり 先史時代の先住民のイベリア人以降 様々な民族がやって来て居住していたようで、紀元前1000年前にケルト族、その後ローマ帝国(※)に約600年に渡る支配を受けていました。

後にバンダル族(アンダルシアの語源になったという説が有力)他 多数の民族による支配が繰り返される中、4世紀までの間にキリスト教が半島に導入されたようです。

  • 「クルスマタ」という金属製のカスタネットを鳴らしながら踊る「ガデス(カディス)の娘たち」と言われるアンダルシアの踊り子が ローマの人々を魅了していた・・という記述があるのだそう

711年にアフリカからジブラルタル海峡より入って来たイスラムの人たちが瞬く間に ほぼスペイン全土を支配してしまいますが、支配を免れた北部のアストゥリアスから キリスト教による国土奪回運動(レコンキスタ)が始まり、着々と取り戻して行きます。

そんな中、モサラベ(※)聖歌が11世紀中頃まで続いていましたが、時の王アルフォンソ6世により禁じられて 忘れ去られてしまいます。

  • イスラムの支配下にあったキリスト教徒のこと)

822年にバグダットより 当時イスラムの首都となっていたコルドバにやって来たシルヤブ(※ 1)によりウード(※ 2)がもたらされ、コルドバにヨーロッパで初めての音楽学校が作られました。そしてこの頃 アラブ音楽が最盛期を迎えます。

  1. メソポタミア生まれで「黒い鳥」のあだ名で呼ばれたシルヤブは ウードの名手で、通常4弦のウードを5弦に改良し、音楽以外にも料理の作り方からマナーなどを伝えたのだそう)
  2. アラビア語で「木」を意味し、後にヨーロッパで広く愛奏される様になる「リュート」の前身の楽器)

キリスト教による国土奪回運動(レコンキスタ)が進み、イスラム勢が南に追いやられる中、13世紀には聖母マリアの奇跡を唄った曲を集めた 通称カンティガと呼ばれる「聖母マリア頌歌集(Cantigas de Santa María)」、モンセラートの修道院への巡礼者用の賛歌を集めた14世紀末頃の写本「モンセラートの朱い本(Libre Vermell de Montserrat)」等 魅力的な曲集が残されます。

一方 この頃庶民は、世俗的な歌を 今とは少し違う形のギターをかき鳴らした伴奏で唄っていたりしていたようです。

1492年にイスラム最後の砦「アルハンブラ宮殿」開城にてレコンキスタが終了し、同じ年 コロンブスが新大陸に到着し、その後新大陸から流れてくる富でスペインがヨーロッパ1の強国となり、16世紀のスペインは“黄金世紀”と呼ばれ、学問芸術(※)や音楽も充実した時期となりました。

  • 例えば「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスやエル・グレコが現れます

この“黄金世紀”では スペイン宗教音楽最大の大家と言われる トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomas Luis de Victoria)をはじめとするルネサンス・ポリフォニーが頂点を迎え、他「王宮の歌曲集(Cancionero Musical de Palacio)」(※ 1) 「ウプサラの歌曲集(Cancioneiro de Uppsala)」(※ 2) 等 数多くの世俗的曲集が残されます。

  1. 約460曲に及ぶ3~4声の楽曲からなる 世俗歌曲の集成)
  2. 1556年にヴェネツィアで印刷され、殆どが作者不詳のスペインの音楽で占められている歌曲集で、スエーデンのウプサラ大学図書館でその写しが見つかったところから この名前がついた)

それからオルガニストのアントニオ・デ・カベソン(Antonio de Cabezón )が、黎明期であったオルガン音楽の芸術性を高めて、他国の演奏家に影響を与えていたようです。

この頃 主にイベリア半島で広まったギターに似ている「ビウエラ」という楽器が 宮廷でブームとなり、多くのビウエラ奏者が現れ、ルイス・デ・ミラン(Luis de Milán 1500頃ー没年不明)、ルイス・デ・ナルバエス(Luis de Narváez 1500頃ー1555?)等の人たちの楽譜が残されましたが、16世紀いっぱいで衰退してしまいました。そして、今では なぜか一挺も残っていないのだそうです。(今使われているビウエラは、残された絵画や挿図などを元に復元したもの)

1588年にスペインがイギリスに敗戦、国が没落に向かって行く17世紀、カタルーニャの聖地モンセラートに関わりのある「モンセラート派」といわれるグループが台頭して来ます。

その中で最高の大家であり17世紀全体でみても最良のポリフォニー作曲家だったジョアン・セレロールス(Joan Cererols)

の頃から、フランスや 当時音楽の最先端を行っていたイタリアの影響を受け、ア・カペラが基本だった教会の合唱に管弦楽の伴奏が付けられるようになって行きます。

この頃 モノディー様式(※)が、17世紀以降のスペイン音楽に ジャンルを問わず浸透して行きました。

  • メロディーを和音で伴奏するスタイル)

また 16・17世紀頃に今では大衆オペラともいわれている「サルスエラ」が誕生しますが、一時期低迷・・しかし19世紀終わり頃から20世紀前半(1920~30年代までとされる)に黄金期を迎え、多数の作品が世に送られています。

イタリアからやって来てスペインに帰化したドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti 1685ー1757)や民俗学派の先駆者的存在と言われるアントニオ・ソレール(Antonio Soler 1729ー1783)が活躍していた18世紀~19世紀は、自国の作曲家の目立った活躍が少ない中 フランスに亡命したフェルナンド・ソル(Fernando Sol)(※)がそこを拠点に国際的に活躍、オペラや管弦楽曲等数々の作品を残しています。

  • 1778ー1839  バルセロナ生まれのソルは、当時は楽器として低い地位に見られていたギターの愛好家でもあり、多数のギター作品を残し その作品は今もクラシックギタリストの重要なレパートリーとして愛奏されています

そのようなスペイン国内では、イタリアやフランスの音楽が演奏会場を賑わしている中 19世紀後半に、作曲家であり音楽学者のフェリーぺ・ペドレル(Felipe Pedrell)が、音の素材を自国に目を向けた“民族主義”を提唱します。

これには、19世紀中頃から密かに(?)ヨーロッパ諸国の作曲家の間でスペインブームが起きていて、ジョルジュ・ビゼーの歌劇「カルメン」(1875年)をはじめ 数多くのスペイン人以外の作曲家がスペインをテーマにした作品を発表していたので、これが刺激になったのかも知れません。

このペドレルに教えを受けたイサーク・アルベニス(Isaac Albéniz)、 エンリケ・グラナドス(Enrique Granados)、マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla)、ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina)(※) は、多くの人が “いかにもスペインの音楽”・・と感じる色彩豊かな作品を数多く生み出し、それらは今でも広く親しまれ 愛奏されています。

  • 1882ー1949 セビーリャ出身の作曲家で、アンダルシアをテーマにした色彩豊かな作品を数多く残し「音の風景画家」とも呼ばれていました)

20世紀では スペイン的な色彩に彩られた作品や現代的な語法を取り入れた作品を発表する多くの作曲家が出て来る中、スペイン内戦が1936年に起き 1939年に終結。その後1940年に初演された ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo)の「アランフェス協奏曲」は、内戦により傷ついた人々の心を癒し、中でもその第二楽章は ポピュラー音楽にも編曲され、20世紀に生み出された音楽の中でも、モーリス・ラベル(Maurice Ravel)(※) の「ボレロ」と共に 広く世界中で親しまれています。

  • ラベルはフランス人ですが、スペイン北東部のバスク人の血を引いています)

詳しくは

  • 「スペイン音楽の楽しみ」濱田滋郎著 音楽之友社 
  • 「約束の地 アンダルシア」濱田滋郎著 株式会社アルテスパブリッシング
  • 「スペイン音楽」ホセ・スビラ著/濱田滋郎訳 白水社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン  (「スペイン音楽」と「粋と情熱」は 現在絶版のようなので、図書館等で借りるか どこかで目にしたら手に入れてみて下さい)

とりあえず これだけは知っておこう「作曲家」

スペインの長い歴史の中 数多くの作曲家がいますが、スペインの音楽を知る上でとりあえず 知っておきたい作曲家を簡単に紹介しています

イサーク・アルベニス (作曲家・ピアニスト)   Isaac Albéniz (1860ー1909)

その作品がギターで演奏される事の多い、スペイン北東部カタルーニャ州ジローナ県カンプロドンという町で生まれたアルベニスは、幼い頃からピアノを習い始め、4歳で人前で初演奏したそうです。 その後、“パリ音楽院受験の際 ボール遊びをして鏡を割ってしまい入学が2年延期になった”や “放浪の旅に出て、スペイン国内はもとより大西洋を超えて新大陸の各地を放浪し 神童ピアニストとしての名声を高めた” 等 数々のエピソードがありますが、そのいくつかは作り話とされていますが、若くして実戦経験豊富なお陰で ブリュッセルの音楽院を首席で卒業しています。 二十歳にして バッハから新しい曲まで100曲以上、ピアノ協奏曲18曲、自作曲50曲以上という膨大なレパートリーを持ち、ピアニストとしての旅行に明け暮れている途中、バルセロナでフェリーペ・ペドレルと知り合い、ペドレルの影響で民族主義に関心が向き、スペイン国内をテーマにした曲を生み出して行きます。 

1883年の結婚を機に 放浪生活にピリオドを打つことになり、そして マドリード、ロンドンを拠点として活動を行い、この間にオペラ「ぺピータ・ヒメネス」をはじめ、ギターで弾かれる事の多い「アストゥリアス(前奏曲)」「コルドバ」「セビーリャ」等アンダルシアをテーマにした民族色豊かな数多くのピアノ作品を出版し、また 他の作曲家の出版も手伝っていました。

そして1894年にパリへ拠点を移し、留学中のファリャやトゥリーナ(※ 1)とも知り合い、フォーレ(※ 2)やドビュッシー(※ 3)等の作曲家との交流を行い、各地での演奏の成功が続いて行きますが この頃から次第に持病が悪化して行きます。

  1. Joaquín Turina 1882-1949 セビーリャ出身の作曲家で、アンダルシアをテーマにした色彩豊かな作品を数多く残し「音の風景画家」とも呼ばれた)
  2. Gabriel Urbain Fauré 1845ー1924 「シシリエンヌ」や「夢のあとに」で知られるフランスの作曲家)
  3. Claude Achille Debussy 1862ー1918  ピアノ小品「月の光」で知られ、「印象主義」の扉を開いたフランスの作曲家)

1897年に発表された「ラ・ベガ」の頃から民族性と普遍性の深みを備えた「世界へ目を開いたスペインの音楽」が形を見せてきて、悪化する一方の病の中 最後の力を振り絞り、20世紀ピアノ音楽の金字塔ともいえる「イベリア」を 1906~1909年に全四集12曲を発表しています。

詳しくは・・

  • 「スペイン音楽の楽しみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン (この本は 現在絶版との事なので、図書館等で借りるか どこかで目にしたら手に入れてみて下さい)

エンリケ・グラナドス(作曲家・ピアニスト)  Enrique Granados   (1867ー1916)

民族的な色彩を前面に出す・・というより、スペイン的な色彩を内に秘めたロマンティックなピアノ曲を数多く残したグラナドスは カタルーニャの古い都市リェイダに生まれ、小さい頃から音楽が好きで 5歳の時からピアノ、ソルフェージュと理論を学び始め、メキメキと上達し 16歳の時に音楽院のコンクールで首席を得たそうです。そして、この時から作曲をしたいと思うようになり、後にフェリーぺ・ペドレルに教えを受け、とりわけ民族主義的な精神面で大きな影響を受けたようです。

その後 パリへ留学に行きましたが、腸チフスにかかりパリ音楽院の入学試験を受けられませんでしたが、この音楽院の教授のシャルル・ベリオ(Charles-Wilfrid de Bériot 1833ー1914)のもとで2年間個人レッスを受けることが出来ました。

そしてバルセロナに戻って来て 1890年にテアトロ・リコでリサイタルを開き、大成功を収めています。この年「アンダルーサ」(※)を収めている グラナドスを代表する12曲からなる「スペイン舞曲集」が出版されたようで、この曲集はヨーロッパ中で絶賛されました。

  • おそらくグラナドスの曲の中で最も知られている一曲で、ギターやヴァイオリンへの編曲や 歌詞をつけて歌曲として親しまれています

1895年から一時期 マドリードへ行きましたが、大変な苦労の中 体調を悪くして行きましたが、チェリストのカザルスをはじめ多くの演奏家と親交を深め、作曲を行って行き、1898年にはオペラ「マリア・デル・カルメン」が初演されて大成功を収めます。98年から書きはじめ1911年に完成された、スペインを代表する画家ゴヤの世界観で18世紀のマドリードを描いた大作ピアノ曲「ゴイエスカス」は大喝采を浴び、のちにこれを二幕もののオペラに改作しています。

後進の育成にも力を入れ、1901年に 後に名ピアニストのアリシア・デ・ラローチャを輩出する「グラナドス音楽院」を設立し、フランク・マーシャル(※ 1)をはじめとするピアニストや作曲家を育て、また1902年には、カザルスとヴァイオリニストのジャック・ティボー(※ 2)とヨーロッパを演奏旅行し 大成功を収めています

  1. Frank Marshall 1883ー1595 カタルーニャ出身のピアニスト。後に「グラナドス音楽院」を引き継ぐ)
  2. Jacques Thibaud 1880ー1953 フランス出身。1943年にフランスのピアニストのマルグリッド・ロンと「ロン=ティボー国際コンクール」を共同開催。今もこのコンクールは行われている)

船嫌いなグラナドスが オペラ「ゴイエスカス」の初演に立ち合う為 覚悟を決めて船に乗って海を渡りアメリカへ行き、この「ゴイエスカス」は1916年1月28日 メトロポリタン歌劇場で初演されて、大成功を収めます。そして3月、船でスペインへ向かいますが 時代は第一次世界大戦真っ只中、船はドイツの潜水艇の無差別攻撃により撃沈させられ、悲劇的な最期を迎える事となってしまいました。

詳しくは・・

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン(この本は 現在絶版との事なので、図書館等で借りるか どこかで目にしたら手に入れてみて下さい)

マヌエル・デ・ファリャ (作曲家)  Manuel de Falla  (1876ー1946)

スペイン最大の作曲家と言われるファリャは スペイン南西部の港町カディスに生まれ、音楽に恵まれた環境で育ちました。20歳の時に一家が首都マドリードへ移り住み、王立音楽院に入り 作曲をフェリーぺ・ペドレルに学んでいます。1905年には、王立音楽院主催の新作オペラ・作曲コンクールに応募した「はかなき人生」(*)と、作曲コンクール翌日に行われたピアノ・コンクールを共に優勝しました。

  • 1913年にニースで初演。作曲コンクールに出す楽譜が提出期限に間に合わなく、兄に歌詞を書くのを手伝ってもらったのだけど、譜面を読めない兄は “休符”にまで歌詞を付けてしまった・・という微笑ましい?エピソードがあります)

1907年に当時音楽の先進国であったフランス・パリに向かい、作曲家ポール・デュカス(1865ー1935)に管弦楽法と和声を学び、アルベニス、ドビュッシー、ラベルやストラビンスキー(※)、トゥリーナ等の人達と親交を結ぶ中1914年、世界大戦勃発により やっとの思いでスペイン・マドリードに戻ります。

  • Igor Stravinsky 1882―1971  バレエ音楽「春の祭典」で、20世紀前半の音楽界を騒然とさせたロシアの作曲家

当時 一番人気だった女性フラメンコ舞踊のパストーラ・インペリオ(1888ー1979)から作曲の依頼を受け、兼ねてから興味のあったフラメンコを研究し、「火祭りの踊り」が含まれる舞踊組曲「恋は魔術師」(1915)を発表します。(これは今でもフラメンコで好んで舞台化されています)
そしてディアギレフ(※)の依頼により 舞踊組曲「三角帽子」が、エルネスト・アンセルメ(1883ー1969)の指揮、あのパブロ・ピカソ(1881ー1973)が 舞台美術と衣装を手掛けるという豪華なメンバーで、1919年に初演され 大成功を収めました。この二つの舞踊組曲は、ファリャがアルベニスやグラナドスより若い世代のためか、二人よりも音感覚が新しく 独特な色彩感覚を持つオーケストレーションで、ファリャの代表作として世界中で演奏されています。

  • Sergei Diaghilev] 1872ー1929  ストラビンスキーの「火の鳥」「春の祭典」を仕掛けた ロシアのプロデューサー

そして19年に完成したピアノ曲「アンダルシア幻想曲(ファンタシア・ベティカ)」以後、作風が民族的な響きから離れて行き、近現代的な響きが増し、簡潔な書法になって行きます。1922年には フラメンコの中核を成すカンテ・ホンドが廃れて行くのを憂いて グラナダで「カンテホンド・コンクール」を催し、結果的には フラメンコがかつてないほど注目を浴びることとなりました。

1923年に特殊な人形劇オペラ「ペドロ親方の人形芝居」、1926年には足掛け4年がかりとなった「チェンバロ協奏曲」が完成し、この2曲は20世紀スペイン音楽に大きな影響を与え、それ故 ファリャがスペイン最大の作曲家と呼ばれています。その後、カンタータ(※)「アトランティダ」の創作に集中した事と健康状態の悪化もあり、極端に作品が少なくなって行き、スペイン内戦が終結した1939年にアルゼンチンへ渡りましたが スペインへ戻ることはありませんでした。(その身体は後にスペインに移され、カディスの大聖堂の地下に眠っています)そして「アトランティダ」は完成を見ませんでしたが、のちに弟子の作曲家ハルフテル(Ernesto Halffter 1905ー1989)の手により完成されています。

  • 器楽伴奏を伴う 声楽曲の一つのジャンル

詳しくは

  • 「ファリャ 生涯と作品」興津憲作著 音楽之友社
  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン 

(「ファリャ 生涯と作品」と「粋と情熱」は 現在絶版との事なので、図書館等で借りるか どこかで目にしたら手に入れてみて下さい)

トマス・ルイス・デ・ビクトリア(作曲家)  Tomás Luis de Victoria   (1548ー1611)

個人的には モラレス(※)の曲の方が好みなのですが、ルネサンス期スペイン最高の宗教音楽の大家といえば ビクトリアでしょうか。

  • Cristóbal de Morales 1500頃ー1553 セビーリャ出身の“黄金世紀”スペイン宗教音楽の最初の大家で、アビラでも聖歌隊長の任についている)

ビクトリアは、スペイン中央部の都市 マドリードのあるカスティーリャの西隣りにあるアビラに生まれ、少年時代はアビラ大聖堂の合唱児童に属していました。1564年頃に援助を受けローマに行き、ルネサンスポリフォニーの大家パレストリーナ(※)に学んだらしい・・そうです。

  • Giovanni Pierluigi da Palestrina 1525?ー1594 ルネサンス後期のイタリアの作曲家で、その曲はルネサンスポリフォニーの最高峰とされる

1569年からローマ市内のスペイン系教会の楽長及びオルガニストになり、やがて教授、学長に迎えられ、1575年に聖職者の資格を取りましたが、その後 1585年頃にスペインに戻り、マドリード近郊のラス・デスカルサス・レアレス女子修道会の一員となりました。そして そこに住む皇太后マリアとその姫マルガリータに終生仕え、司祭の他、作曲家、合唱指揮者、オルガニスト等をつとめたそうです。

世俗曲には手を染めず、宗教作品のみ 200曲近く残したビクトリアの代表曲は「死者のためのミサ曲 」や、演奏される機会の多い「おお、大いなる神秘」あたりかと思いますが、個人的には8声の「アベマリア」も捨てがたい。

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

ガスパール・サンス(ギター奏者・作曲家)  Gaspar Sanz  (1640ー1710)

東北スペインのアラゴン州のカランダというところでで生まれたサンスは、名門サラマンカ大学を出た後イタリアへ渡り、ギターと作曲を学んでいます。そのかたわら 神学士兼オルガニストでもあり、帰国後はスペイン王家に仕えていたそうです。

当時のギターは 今より小ぶりな5コース(複弦)で、そのギター用にギター教則本兼曲集「スペイン風ギター上の音楽教程」を1674年に出版。(改定再販1697年)この教本はその後2世紀にわたってギター教育に影響を与えたそうです。

この曲集に入っている数十の小品の大部分が その当時のスペインの地で行われていた舞曲が収められていて、その中の「カナリオス」「ビリャーノ」等の数曲は、20世紀に入り ホアキン・ロドリーゴ(1901ー1999)の「ある貴紳の為の幻想曲」や ファリャの「ペドロ親方の人形芝居」に取り入れられ、創作の源となっています。

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

アントニオ・デ・カベソン(オルガン奏者・作曲家)  Antonio de Cabezón  (1510~1566) 

北スペインのブルゴス県下出身のカベソンは、幼いうちに失明しましたが、バレンシアでオルガニスト ガルシア・デ・バエサ(Garci de Baesa)による教育を受け、才覚を発揮し 18歳でスペイン王室に召し抱えられました。カルロス1世に重んじられ、フェリペ2世の音楽教育にたずさわり、1548年からはカルロス1世に随行して、ナポリ、ミラノ、ドイツ、ネーデルランド、ロンドン・・とヨーロッパを旅行し、他の宮廷に仕える主要な音楽家たちと親交を持ち、影響を受けると共に、各地の演奏家に影響を与える

オルガンがまだ草分け的な時期に、フーガ(※)の先駆のような “手探り”や“ためし弾き”の意味を持つ「ティエント」というジャンルや “互いに相違なるもの” の意味の「ディフェレンシアス」という変奏曲がすぐれていて、「“騎士の歌”による変奏曲」や「“牝牛の番をしておくれ”による変奏曲」等、オルガン音楽の草創期に、声楽曲の模倣から脱却して 器楽的な語法による緻密な優れた作品を残しています。

  • 簡単にいうと、輪唱を高度に複雑化した作曲法

ありがたいことに、子息のエルナンド・デ・カベソン(Hernando de Cabezón 1541ー1602)により 120余りの作品を集めた楽譜が出版され、今に伝わっています。

詳しくは・・

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

フランシスコ・タレガ(クラシックギタリスト・作曲家)   Francisco Tárrega  (1852ー1909) 

ギター弾きなので取り上げない訳にはいかない「近代クラシックギターの父」とも呼ばれているタレガは、東部スペインのバレンシアから電車で一時間くらいのところにあるビラレアールに生まれ、7歳の頃からピアノを学び 翌年にはギターの手ほどきを受けています。10歳の時、当時人気だったフリアン・アルカス(※)の演奏に感動し、バルセロナまで習いに行ったが、アルカスが演奏活動で忙しく1、2度アドバイスを受けたにとどまり、あとは ある意味独学でテクニックを身につけて行ったそうです。

  • Julián Arcas 1832ー1882 スペイン出身のギタリスト。トーレスにギター製作上のアドバイスを与えている

そして15歳の時には公開演奏会を催す程になり、その演奏に触れた人たちを魅了して行き “タレガ・ファンクラブ” のような集まりまで出来て、クラシックギターの銘器“トーレス”(※)をプレゼントされています。

  • Antonio de Torres 1817ー1892 クラシックギターの構造を改革した名工で、それは今のギターの製作法の基礎となっている

その後 22歳の時マドリード音楽院に入学、ピアノを専攻し、卒業時には和声学と作曲法で首席になっています。25歳の時に行ったギターコンサートの成功を機に演奏活動を開始、たちまち当代随一のギタリストと評され、1885年・・33歳の時からバルセロナを拠点に各地で演奏を行い、フランスやイタリアでも演奏を行っています。

しかし、タレガの生きていた頃は まだまだギター不遇の時代で、そんな状況の中演奏法の改革を行い ギターの表現を極限まで追求し、また 名曲「アルハンブラの思い出」や「アラビア風奇想曲(カプリッチョ・アラベ)」をはじめ 数多くの作品を世に送り出し、アルベニス、ショパンやモーツァルト等 ギター以外の作品をギター用にアレンジしてレパートリーを増やし、ギターの地位向上に努めました。教育にも力を注ぎ、弟子には カタルーニャ民謡の「聖母の御子」や「アメリアの遺言」の編曲で知られるミゲル・リョベート(Miguel Llobet 1878ー1938)が世界的に名声(※)を上げています。

  • マドリードで成功した時 “リョベートの師の「タレガ」の演奏を聴きたい” という声が上がったが、演奏会は実現されなかった・・というエピソードがあります

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「タレガの生涯」 E・プジョール著 濱田滋郎訳 現代ギター社

特別枠  

フェリーぺ・ペドレル(作曲家・音楽学者) Felipe Pedrell  (1841ー1922)

カタルーニャ出身の「近代スペイン民族主義楽派の父」と呼ばれる作曲家で、先の・・アルベニス、グラナドス、ファリャが ペドレルの教えで自国の音楽に目を向けるきっかけとなる・・として名前が出て来るペドレルですが、優れた教師だけでなく カベソンやビクトリア等過去の偉大なスペイン人作曲家の紹介や、民謡の系統立った研究も行うなど 優れた業績を残しておきながら なんとも不遇な扱いになってしまっていて、一般的な認識は“教師”としての評価ですが、最後まで本人は “私は優れた作曲家だ”・・と自負していたようです。

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

 とりあえず これだけは知っておこう「スペインの様々な音楽」

数多くの音楽がありますが、スペインの音楽を知る上でとりあえず 知っておきたい音楽を簡単に紹介しています。

アルフォンソ10世の「聖母マリア頌歌集」 Cantigas de Santa María

芸術や学問、天文学などを擁護し、「エル・サビオ」(知者、賢王)と呼ばれたカスティーリャ・イ・レオン(※)の王 アルフォンソ10世(在位1252ー1282)が、1257~1279年にかけて編纂させた「カンティーガス・デ・サンタ・マリア(Cantigas de Santa Maria)」・・通称「カンティガ 」と呼ばれている、約420篇に及ぶ聖母マリアの奇跡を称えた曲を集めた曲集です。

  • マドリードから北の方に位置する地域

中世スペインでは “詩を詠むのにはガリシア語(※)の方がふさわしい” とされていたので、ラテン語ではなく ガリシア語が使われています。

  • スペイン北西部、ガリシア地方の言葉

楽譜は単旋律で記されていますが、当時の習慣で 様々な楽器による伴奏が加わっていたそうで、当時のレオンはレコンキスタによりカトリックの“国”になっていましたが、楽器演奏はイスラムの人たちの方が演奏が優れていたので、イスラムの人たちが呼ばれて演奏していたのだそうです。

その旋律が魅力的なので 古楽の大切なレパートリーとなっている他、モンポウ(※)が 「歌と踊り」の10番に、ファリャが「ペドロ親方の人形芝居」の中に取り入れ、創作の源泉となっています。

  • Ferderico Mompou 1893ー1987 バルセロナ生まれの作曲家

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

モンセラートの朱い本  Libre Vermell de Montserrat

バルセロナから電車やロープウェイ等を使って1時間くらいのところにある聖地モンセラート。この山の中腹にに 11世紀頃に修道院が建てられました。山頂付近にある洞窟で 12世紀に羊飼いが “ラ・モレネータ”といわれる「黒いマリア」を発見し、12~3世紀 には各地からの巡礼が絶えなかったそうで、長い旅路を経て来た人々が感動の為か大騒ぎした・・かどうかわかりませんが、信徒たちのマリア賛歌に、“輪になり手を繋いで踊った” という民謡風の曲も含まれる、ラテン語と中世カタルーニャ語で書かれた 単旋律や2声・3声による曲の14世紀末頃の写本で、19世紀に赤い表紙が施されたので「朱(あか)い色」という名前がついたそうです。

この修道院には元々 多数の古文書が所蔵されていたそうですが、1811年 ナポレオンにより破壊され、火災により焼失してしまった(※)のですが、この「朱い本」は たまたま貸し出されていたので難を逃れ、今では貴重な曲集となっています。

  • 現在の建物の多くは19世紀から20世紀にかけて再建されたものです

わずか10曲という曲集ですが、どれも魅力的な曲で こちらも古楽の大切なレパートリーとなっている他、例えば「輝ける星よ Stella splendens」は、今でもポピュラー音楽等で様々にアレンジされるなどして 広く親しまれています。(個人的な事ですが この「Stella splendens」は学生時代、スペインのコンポーザー“アルフレード・カリオン Alfredo Carrión” のアルバム「錬金術師」のタイトルナンバー「錬金術師」の後半、ロックバンド+混声合唱というアレンジで知りました)

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

サルスエラ Zarzuela(スペイン風音楽劇)

スペイン語による歌詞(&セリフ)による“大衆オペラ”と言われている「サルスエラ」は、1657年にマドリード近郊に時のスペイン王フェリーペ4世が持っていた通称「サルスエラ宮」で、スペインの劇作家・宮廷詩人のペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ(Pedro Calderón de la Barca 1600ー1681)と作曲家フアン・デ・イダルゴ(Juan de Hidalgo 1614ー1685)による喜劇の新作「アポロの月桂樹」が上演されたのが始まりのようです。当時は二幕で、神々や神話上の人物、伝説の英雄・・といったテーマが主な 今の庶民的からは離れた内容だったようです。

従来の“神話的で層中な世界”のものではない事を強調した 喜劇作家ラモン・デ・ラ・クルース(1731ー1794)とアントニオ・ロドリゲス・イータ(?ー1787)作曲による「バリェーカスの麦刈り女たち」(1768)と「ムルシアの農婦たち」(1769)などは、“サルスエラ・アレグレ”(楽しいサルスエラ の意味)と名付けられ、場面によっては ギターやタンバリン、カスタネットといった民族楽器が参加したり、ホタ・ムルシアーナなどの民謡が歌われたそうですが、譜面は残っていないみたいです。

その後 イタリア・オペラの流行で衰退してしまいますが、19世紀中頃から息を吹き返し、1856年に マドリードに「サルスエラ劇場」が建設されました。1880年以降には、ささやかなジャンルを意味する「へネロ・チーコ」という一幕ものがブームとなり、セリフ回しや音楽がより庶民的な感覚を強め、マドリード気質をそのまま反映するようになり、トマス・ブレトン(Tomás Bretón 1850ー1923)がへネロ・チーコの傑作「ラ・パロマの夜祭」(1894年初演)を発表するなど サルスエラの黄金期に入り、ルベルト・チャピ(Ruperto Chapí 1851ー1909)をはじめフェデリコ・モレノ・トローバ(Federico Moreno Torroba 1891ー1982)等数多くの作曲家が出て来ましたが、1930年代以降は人気が下降線となり、映画やラジオといったメディアにその人気を奪われてしまいますが、スペイン気質たっぷりの演目は、今も愛され、上演され続けています。

ちなみに、カタルーニャ地方にサルスエラ (スペルがちょっと違って  Zarxuela と綴る)という魚介類の煮込み料理があります。

詳しくは

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社

それから スペインには数多い民謡や舞曲がありますが、とりあえず 知っておきたい民謡や舞曲を簡単に紹介しています

民謡

エル・ビート El Vito  (アンダルシア民謡)

アンダルシア地方で古くから伝わる最もポピュラーな民謡で、様々な歌詞が存在しています。これは 実際に体験した事ですが、1997年にセビーリャに滞在中、大勢の人がセビーリャのサッカー・チームの勝利記念の挨拶を見に向かう途中、皆がこの「エル・ビート 」を知らない歌詞で歌いながら移動していました。

このメロディーにオリジナルの伴奏をつけたオブラドルス(※ 1)をはじめ、サラサーテ、サインス・デ・ラ・マーサ(※ 2)やインファンテ(※ 3)等 多くの音楽家により様々にアレンジされて、親しまれています。

  1. Fernando Obradors 1897ー1945  カタルーニャの作曲家。「スペイン 古典歌曲集 “Canciones clásicas españolas” 」に収められている
  2. Eduardo Sainz de la Maza 1903ー1982 ブルゴス生まれの作曲家。ギタリストの兄レヒーノは「アランフェス協奏曲」を初演
  3. Manuel Infante 1883ー1958 セビーリャ郊外のオスナ生まれで、フランスを拠点に活躍したピアニスト・作曲家

鳥の歌 El Cant dels Ocells (カタルーニャ民謡)

民謡の宝庫とも言われているカタルーニャを代表する民謡で、カタルーニャ出身のチェロ奏者 カザルスの演奏により世界的に知られるクリスマス・キャロルです。

モンポウが「歌と踊り 13番」に、オブラドルスが「スペイン古典歌曲集」にオリジナルのアレンジを施し 発表している他、様々にアレンジされて 親しまれています。

聖母の御子 El Noi de la Mare  (カタルーニャ民謡)

タレガ門下のミゲル・リョベートの編曲により ギター独奏曲としても広く知られている、カタルーニャ地方に伝わるポピュラーなクリスマス・キャロルですが、アイルランド民謡の「ガリシアの歌」がカタルーニャにも伝わり、19世紀中頃にの歌詞がつけられ「聖母の御子」として広まったようです。(スペイン北西部のガリシア地方には、6世紀にケルト族のアイルランドの人たちが多くやって来ていたようです)

民族舞踊

フラメンコ Flamenco

スペインを代表する民族舞踊ですが、スペイン = フラメンコ のイメージが強いのか スペイン全土で踊られているような印象があるかと思いますが、南部アンダルシア発祥のもので、一部の人たちにより育まれて来たものです「フラメンコについて」で 簡単に説明していますので、そちらをご覧下さい。

詳しくは・・

  • 「フラメンコのすべて」講談社 有本紀明著
  • 「フラメンコの歴史」晶文社 濱田滋郎著 
    (これらの2冊は現在絶版との事なので、図書館等で借りるか どこかで目にしたら手に入れてみて下さい)
  • 「スペイン音楽の楽しみ」濱田滋郎著 音楽之友社 
  • 「約束の地 アンダルシア」濱田滋郎著 株式会社アルテスパブリッシング
    ・・にも、簡単ではありますが フラメンコについて載っています。

ホタ Jota

「喜びと悲しみを同時に表す」と言われる ホタは、起源は不明ですが古いスペイン 語の「飛び上がる」という意味から来ているというスペイン北部の民俗舞踊および民謡で、スペインに広く浸透しています。

速い三拍子のリズムで、ギター,タンバリンなどで伴奏されて、男女一対または多数の男女が対になってカスタネットを手に 跳びはね回転を加えながら踊るのが特徴の踊りで、特に発祥とされる北東部に位置するアラゴン地方のものは「ホタ・アラゴネサ」とも呼ばれて有名なものとなっています。また スペイン東側に位置するバレンシア地方のホタではカンテ (歌) もうたわれ、アラゴン地方のホタと一味違ったものとなっています。

セギディーリャ Seguidilla

いかにもスペインの民俗舞曲といったセギディーリャは、速い三拍子のリズムで、バンドゥーリア(※ 1)、ラウード(※ 2)にギター、それにカスタネット等の伴奏で歌われ踊られています。

  1. Bandurria  古代ローマ人が普及させたとされる、見た目ウードとマンドリンを合わせたかの様な背の平らな弦楽器
  2. Laud  バンドゥーリアを縦長にした様な弦楽器で、バンドゥーリアと同じく複弦で、プレクトラムと言われる爪で演奏します

起源ははっきりとしていないようですが ラ・マンチャ地方(※)が本場とされ、16世紀には知られていたようで それが各地に広がり、「ボレロ Bolero」やセビーリャの春祭り『FERIA』で踊られる「セビリャーナス Sevillanas」など、様々な踊りの母体となっています

  • マドリードから南へ行ったところにある、風車で知られる地域

なお、ビゼーのオペラ『カルメン』に「セギディーリャ」という曲がありますが、これは名前を借用しただけです。(ちなみに、フラメンコに「シギリージャ  Siguilla」というリズムがあり、これを「セギディーリャ」と表記される事がありますが、音楽的な繋がりはなく 全く別の物です)

サルダーナ  Sardana 

スペイン東北部カタルーニャ地方の、男女大勢が手をつなぎ,輪になって手を上げたり下げたりして踊る伝統的な踊りで、ギリシアの古典舞踊の流れをくむものと考えられています。ふつう11人編成の コブラcoblaと呼ばれる民俗的な管楽合奏団による伴奏で、踊る者同士がともに楽しむ 静かで神秘的な踊りであるのが特徴。

このサルダーナはバルセロナの旧市街地 大聖堂の前の広場で見ることができ、輪の真ん中には人々の荷物が積まれてれていますが、これは盗難防止の為です。

番外編

エスパーニャ・カーニ  España cañí

曲のタイトルは知らなくても 一度は耳にした事のある「スペインのジプシー」の意味する『エスパーニャ・カーニ』は、スペインの作曲家パスカル・マルキーナ(Pascual Marquina Narro  1873-1948)が1923年に作曲、親友のホセ・ロペスに捧げたパソ・ドブレ(※)の曲です。

  • パソドブレ(Paso doble)は、スペインの闘牛とフラメンコをイメージした踊りです

スペインの闘牛場などで用いられ、また ビートルズが初期のリバプール時代に演奏していた・・等 様々にアレンジされて、世界中で広く親しまれています。

セファルディの歌

レコンキスタ終了後のスペインに“イスラム追放令”が出されましたが 、一緒にユダヤの人たちも追放されてしまい、ポルトガル、イタリアやトルコ、北アフリカやバルカン半島諸国等に逃れたスペイン系ユダヤの人たちの事をセファルディ(※)といいます。

  • セファルディはセファルディム Sephardim の単数形

このセファルディの人たちは、歴史的に大変な目に会いながらも 500年以上前のスペインの言葉や習慣をそのままタイムカプセルの如く今に伝えていて、その 500年以上前の読み人知らずの(私達からすれば貴重な)歌の事を「セファルディの歌」といい、魅力的な歌がたくさん今に伝えられています。例えば「バラが花ひらく La Rpsa enflorece」という曲は、今でもイスラエルの人たちの間では 誰もが当たり前のように知っている曲なのだそうです。

詳しくは

  • 「セファラード ─スペイン・ユダヤ人の500年間の歴史・伝統・音楽─」 リリアーナ・トレヴェス・アルカライ 著/谷口 勇 訳 而立書房
    (セファラード Sefarad とは スペイン系ユダヤ人の言葉で「スペイン」の意味です)

この本は絶版ですが、在庫があれば書店で取り寄せ出来るかも?

  • 「約束の地 アンダルシア」濱田滋郎著 株式会社アルテスパブリッシング
    にも、簡単ではありますが 載っています。

とりあえず これだけは知っておこう「スペインの名演奏家」

スペインの名演奏家は数多くいますが、全部をあげられないので ここではそれぞれのジャンルの代表的なアーティストを簡単に載せておきます(なんでこの人が載っていないんだ?とは言わないで下さい) 

アリシア・デ・ラローチャ(ピアニスト)   Alicia de Larrocha  (1923ー2009)

スペインのピアニスト・・というと、やはり真っ先に思い浮かぶ 女流ピアニストのラローチャをあげない訳にはいかないでしょう。バルセロナで生まれたラローチャは、グラナドスの愛弟子フランク・マーシャルに学び、モーツァルトやベートーベン等もレパートリーとしていますが、アルベニス やグラナドス、モンポウといった近代スペインの曲を得意としています。 

実は体が小さく、手は 1オクターブがやっと・・と言われていますが、とてもそれを感じさせないテクニックと スペインの情感豊かな演奏は、スペインのピアノ曲を聞くなら まずラローチャ・・といったところでしょうか。

 1995年に初めてスペインへ行った時、マドリードでラローチャが演奏する ファリャの「スペインの庭の夜」のコンサート(この日はファリャのオペラ「はかなき人生」とのプログラム)へ行き、実際に生で聴きく事が出来た時のことは 今でも憶えています。

アンドレス・セゴビア (クラシック・ギタリスト)   Andrés Segovia(1893ー1987)

今コンサートホールでクラシックギター・コンサートがあるのは セゴビアのおかげ・・と言っても過言ではない、20世紀の最も重要なクラシックギタリストです。
アンダルシアの北東部にある街リナーレスに生まれ、4歳の時にギターと出会い、本格的に取り組んだのが グラナダに引っ越した10歳からだといいます。
最初はフラメンコのギタリスト(※ 1)だったというセゴビアは、家族に邪魔されながらも タレガの高弟ミゲル・リョベートやエミリオ・プジョール(※ 2)の集まるサロンに通いタレガの奏法を見て学び、いわゆる独学でテクニックを身につけたそうです。
そして17歳で(クラシックギタリストとして)デビュー演奏を行い、1924年のパリでのコンサートで成功を収めました。

  1. 922年にグラナダで行われた「カンテフラメンコ・コンクール」でゲスト演奏。フラメンコの「ソレアレス 」を演奏したそうです・・録音があれば聞いてみたいもの
  2. Emilio Pujol 1886ー1980 カタルーニャ出身の作曲家・ギタリスト・音楽教師

セゴビアは、大ホールでもギターのコンサートが可能な事を実証(※)し、様々な作曲家にギター曲を書かせ、世界中で演奏を行い ギターの持つ素晴らしさを伝え、ギターでクラシックの曲をピアノやヴァイオリンなどと同様に「クラシックの音楽」として演奏出来る事を証明し、それまで低い地位にあったギターの地位を引き上げるなど 多大な功績を残しました。

  • 19世紀後半、アントニオ・デ・トーレスによるギターの大改革で可能になった

パウ(パブロ)・カザルス(チェリスト)  Pau(Pablo)  Casals  (1876ー1973)

世界的なチェリストであると共に、世界に平和を訴え続けたとしても知られるカザルスは、バルセロナから南西にある街ベンドレルに生まれ、10歳の時にチェロに興味を持ち、11歳の時ジョゼップ・ガルシアというチェリストの演奏会を聞いてから このガルシアのところで本格的にチェロを学びます。しかし、その当時の弾き方に疑問を持ち 12歳で弾き方を改革・・これは今も標準的な弾き方になっているそうです。13歳の時 バルセロナの楽器店でほぼ知られていなかったJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」を見つけ、のちに素晴らしい曲である事を演奏して証明し、20世紀のバッハ復興の一役となっています。

そして 1899年パリでラムルー交響楽団の独奏者に選ばれ 大成功を収め、その名声は国際的なものとなり、それ以降 大指揮者との共演やピアノのコルトー(※ 1)・ヴァイオリンのティボーとの三重奏団、「パウ・カザルス管弦楽団」の設立等 華々しい演奏活動が広げられていましたが、1936年から始まったスペイン内戦およびフランコ政権が樹立したため、フランス南西部のプラード(※ 2)へ移り、フランコの独裁政権に反対し これを支持する国での演奏を停止しました。

  1. Alfred Denis Cortot 1877ー1962 スイス生まれのフランスのピアニスト。余談だが 作曲家のエドガー・ヴァレーズは親戚にあたるのだそう
  2. ピレネー山中の小さな村。毎年 世界の一流の音楽家が集まる音楽祭が行われようになりました

平和を願う活動を行い、1958年にはシュヴァイツァー博士(※)とともに核兵器廃絶を願う声明を発表。同年、国連事務総長の招きを受け ニューヨークにある国連で平和祈念の短い演説を行い、バッハのソナタとカタルーニャ民謡の「鳥の歌」を演奏し、世界の人々に深い感銘を与えています。

  • Albert Schweitzer 1875ー1965 アルザス(当時はドイツ領)生まれの医師。哲学者、オルガニスト、音楽学者としても知られる

パブロ・デ・サラサーテ (ヴァイオリニスト・作曲家)  Pablo de Sarasate   (1844ー1908)

スペインのヴァイオリニスト・・というよりは 作曲家というイメージのサラサーテは、“牛追い祭り”で有名なスペイン北部のパンプローナ(※)に生まれて、5歳の時にヴァイオリンを手にし10歳の時には公開演奏を行ったそうです。そして12歳の時に王妃イサベルから奨学金を得てパリへ留学し パリ音楽院で研鑽を積むかたわら、作曲でも優れた成績を収めています。

  • パンプローナには「サラサーテ通り」があります

17歳の時に一旦スペインへ戻りますが、その後パリを起点に サン=サーンス(※)をはじめ数々の名だたる作曲家がサラサーテに曲を献呈する程の大ヴァイオリニストとして 半世紀に渡り世界中で演奏してまわる中、1878年以降・・1884年を除き・・毎年 故郷のパンプローナで演奏してました。

  • Charles Camille Saint-Saëns 1835ー1921 「白鳥」で知られる フランスの作曲家

演奏のかたわら、「ツィゴイネルワイゼン」ビゼーのカルメンをヴァイオリン用にアレンジした「カルメン幻想曲」等、スペインをタイトルにした作品を残し、スペイン民族学派の先駆け的な存在ともなっています。 

プラシド・ドミンゴ(テノール歌手)  Plácido Domingo   (1941ー )

マドリード生まれ、両親ともにサルスエラの歌手で、8歳の時にメキシコに移住。同市の音楽院でピアノと指揮を学び、1957年にサルスエラ 歌手としてデビューし、その後「椿姫」でオペラ歌手デビュー。1968年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、1969年にミラノ・スカラ座で大成功を収めて 世界的な名声を確立し、元々はバリトン歌手でのスタートだったのですが、テノールに転向したので 軽い声からパワフルでドラマティックな声までの幅広い表現を備え、広範なレパートリーで世界中の人々を魅了しています。

また アメリカのフォーク/ポップス歌手のジョン・デンバー(John Denver 1943ー1997)とデュエットなどで オペラ界以外からも知られるようになり、パヴァロッティ(※ 1)、カレーラス(※ 2)と共に「3大テノール」として 日本でもアリーナコンサートが盛況となるなど、日本でも人気の高い歌手です。

  1. Luciano Pavarotti 1935ー2007 一世を風靡したイタリアのテノール歌手
  1. Luciano Pavarotti 1935ー2007 一世を風靡したイタリアのテノール歌手
  2. José Carreras 1946ー  バルセロナ生まれのテノール歌手

ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指揮者) Rafael Frühbeck de Burgos  (1933ー2014)

数多いスペイン出身の指揮者の中で、特に“スペイン物”の指揮者として思い浮かぶのは、やはりデ・ブルゴスでしょうか。スペイン北部の方にあるブルゴス出身で、父がドイツ人、母がドイツ系スペイン人という家柄で、ビルバオとマドリードの音楽院でヴァイオリンやピアノと作曲を学んだ後、ミュンヘン高等音楽院に指揮で留学し 優等で卒業しています。

スペイン国立管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者も長く務めた他、ビルバオ交響楽団の首席指揮者、ウィーン交響楽団とモントリオール交響楽団の音楽監督を歴任しただけでなく 欧米各地のオーケストラに客演し また、1980年に読売日本交響楽団の4代目の常任指揮者を務めるなど、日本でもお馴染みの指揮者となっています。

録音活動も積極的に行い、モーツァルトの「レクイエム」(※ 1)やオルフの「カルミナ・ブラーナ」(※ 2)等の素晴らしい録音が数多くありますが、ファリャの管弦楽作品や、ファリャ・アルベニス・トゥリーナの“ピアノと管弦楽の為の作品”を集めたラローチゃとの共演盤などの“スペイン物”は、お国柄を前面に出した濃厚なスペインの音楽を楽しむ事が出来ます。

  1. 「怒りの日」の冒頭部分がTVでよく流れたりしている モーツァルトの絶筆となった作品
  2. Carl Orff 1895ー1982 ドイツの作曲家。「カルミナ・ブラーナ」の冒頭は よくTVで流れているので、一度は耳にしていますね

パコ・デ・ルシア (フラメンコ・ギタリスト)   Paco de Lucía (1947ー2014)

フラメンコギターの魅力を世界中に知らしめた天才ギタリスト。説明は、“フラメンコについて” の「フラメンコの名アルティスタ」のコーナーをご覧ください。

名演演奏家について詳しくは・・

  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「ガイドブック 音楽と美術の旅 スペイン 」音楽之友社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン の(スペインの歴史)
  • 「スペイン音楽のたのしみ」濱田滋郎著 音楽之友社
  • 「ガイドブック 音楽と美術の旅 スペイン 」音楽之友社
  • 「粋と情熱」上原由紀音著 ショパン の(スペインの歴史)
    「ガイドブック 音楽と美術の旅 スペイン 」と「粋と情熱」は現在絶版との事なので、どこかで目にしたら手に入れてみて下さい。
目次